【山村投手過去成績】

 
試合
セーブ
投球回
三振
防御率
2001年
0
2002年/W
1
0
0
0
4
3
0.00
2003年/W
2
0
0
0
2
0
4.50
2004年/W
2
0
0
0
1.2/3
2
10.80
2005年
1
0
0
0
1
0
0.00
※Wはウエスタンリーグでの成績です。

【小・中・高時代】
小学校5年生の時、北伊予スポーツ少年団でソフトボールを始める。
ポジションはピッチャー。6年時には県大会を制覇。
北伊予中学校では軟式野球部に所属、サードを守る。3年生夏の大会で敗退後、2ヶ月限定で愛媛西シニアに入団。初めて硬式球を握った試合で120キロ中盤の速球を披露。
その後、松山中央高校へ進学。学校の練習が終わった後もスポーツジムや自宅前の公園の自分専用のマウンドで練習を重ねた。3年春には140キロを超える球を投げ、県下でも有名な剛速球投手となる。

【大学時代】
数ある誘いの中から、九州共立大学を選び、進学。1年秋の明治神宮大会で全国デビュー。
3月の日本代表候補合宿で、当時大体大(現巨人)の上原浩治にスライダーの握りを教わる。
2年の春には九共大のエースに。夏にはイタリアで行われた世界選手権で153キロをマーク。
2月、全日本代表として巨人のキャンプに参加。
3年生の11月、明治神宮大会の決勝戦で5回からリリーフ、最後のバッターをスライダーで三振、胴上げ投手に。九州共立大学初の全国制覇。すべて救援ながら、4日4連投でチームを勝利に導いた。
4年生の春、秋のリーグ戦を連覇。MVP4回、ベストナイン3回、通算26勝。

【プロ入団後】
2000年のドラフト1位(逆指名)でダイエーホークスに入団。
2001年の高知キャンプ、守備練習中に背中の張りでリタイア。3月に原因不明の右前腕部痛に。
プロ2年目の2002年3月16日に2軍の教育リーグ広島戦でプロ初登板。1回無失点投球、148キロを計測。
2002年6月16日のウエスタンリーグ近鉄戦に先発、プロ初の公式戦登板。4回75球を投げ、被安打4、3三振。
その後右ひじ痛が再発。7月に右脇下ガングリオン摘出手術を受ける。
手術後、70メートルのキャッチボールを再開するまで回復するが、ヒジの違和感が再発。
「胸郭出口症候群」と診断され、11月に動脈の圧迫開放手術を受ける。
2003年2月6日、高知2軍キャンプで8ヶ月ぶりの投球練習。6月15日のサーパス戦で約1年ぶりの公式戦登板。
7月に右ひじ痛を訴え、検査の結果右ひじ疲労骨折の診断、手術。
2004年は2軍で2試合の登板に終わったため、再手術にふみきった。
2005年のウエスタン成績は26試合1勝1敗3S、防御率1.78。4月にはMVPを獲得。
8月6日1軍昇格、7日、仙台の楽天戦でプロ初の1軍マウンド。1回1安打無失点。投球数16。


参考資料:「SPORTS COMMUNICATIONS」・日刊スポーツ九州・週刊ベースボール